「幸福な人生」と「意味のある人生」について
松村君が、渋谷 CLUB QUATTROでその名はスペィドさんの主催を観てモティヴェーションを上げている間、私は夏休みで誰もいない会社にいて、雑務を片付けていた。
【告知】8月29日(sat)はロフトプラスワンへ。深夜24:00から『伊達男ナイト』に出演します!
当日用にキラキラな衣装を買って楽しみにしています♪
なんだか頭痛が回復しないし、煮立てたスープでやってしまった火傷は膨れてきてるし、心の扉がパタリと閉じてしまっていて風通しが悪い。
全く冴えない感じだけど、ここ10年の私からしてみたら、それでも調子がいいと思う。
第一、泣きながら飲んだくれたりとか、全然していないのである!
ある夜、泣きながら飲んだくれている人たちからのメールを立て続けに読みながら、気が付いたんだよ。
「あ、私、安定してる」と。
今、私は泣かなくても眠れるようになっただけでなく、“酔っぱらうこと”に興味がなくなっている。
それどころか、自分の身体が酔って麻痺している状態に煩わしさすら感じている。
思い当たることと言えば……、スパイスたっぷりの漬け物、レモンのアチャールに激ハマりしてたことくらいか。
だいぶ前だけど、「ターメリックはイヤな記憶を消す効果がある」とかいう記事が出てたのを思い出したけど……、ハウス食品が絡んでるから怪しいなぁ。
エントリ「身近な幸せで満足すべき」と言われて(苦笑)を書いた後に、こんな記事を読んだ。
幸福は金で買えるが、人生の意味は金では買えない!じゃあ、どうすればいいの? | パレオな男
ひとくちに「幸福」といっても、実は「幸福な人生」と「意味のある人生」の2つにわかれている
某から私は、「君は決して幸せとは言えない」と言われたも同じだった訳だけど、それは「幸福感」の2大ポイント、
- 「人生の困難やトラブルから自由であること」
- 「人生を簡単で楽しいものだと感じられること」
の両方を欠いているからなんだろう。
しかしあの時、「私って、結構幸せだよね?」と言ったのは虚栄ではなくて、今思うと「人生の意味」について感じて、それなりにまっすぐ進んでると自覚しているから出た言葉だと思う。
人をギヴァー、テイカー、マッチャーの3種に分けた場合、間違いなく私はギヴァーで、今、そのサイクル(ギヴ&テイク)が比較的上手く行っていると思う。
さて、話を戻す。
私にとって、骨髄バンクのドナーになることは、「人生の意味」を十分感じることが出来る行動だと思う。
それは、私にとって身近な幸福とも言えるのではないだろうか。
どうだろう?
↑幸せの図。
8月29日深夜、ロフトプラスワンでお待ちしております!