虹がでたなら

説明がしづらい人のブログ。

傷が癒え、思い出に変わるということ

ちょっと経ってしまったけど、金曜日、新しいコータスタジオへお邪魔してのイマヤスさんのPodcast収録、かなり和んで愉しかったー。

何千もあるPodcastの中で、人気Podcast Top 78という「イマヤスPodcast」な訳だから、どこぞの馬の骨な私の話よりも、他の人の話をしようとやや努力したんだけど、最終的には色々話すことになってしまった。

私の好きなPodcastFM香川の「続・麺通団のUDON RADIO」で、田尾さんが誰の話をしても私には面白いみたいに、私の事を知ってる人以外でも面白い内容になっているといいんだけど……。

 

RECが回っていないところで、私がコータ君の離婚直後の頃に言ったちょっと恥ずかしい台詞の話をしようとした時、ふたりともが「回そう」となったので、私はちょっと驚いた。

“かなり”ではなく“ちょっと”驚いたというのは、既にコータ君は離婚を下敷きにした作品をいくつか発表していたので。

特に、森山さんの「また会ったね、ロンリネス」(監督はコータ君)では、自分の新婚旅行で撮った映像と離婚直後の自宅の映像とが交互に配置されるという(私の)涙を誘う構成になっている。

帰ってから、しみじみとその事を考えてみて思ったのだけど、あの頃、コータ君があんなにもヒリヒリビリビリしてた話ってのは、彼の中でちゃんと昇華されていて、もう次の世界に行っているってことなんだ。

 

そこでふと、元彼が昔言った台詞を思い出した。

「辛いことは、みんなネタにしろよ。俺なんか離婚の1週間後には作品にして発表してたよ」

 

それは確かに真理だと思う。
とはいえ、あれから8年経つけど、未だに思い出しせば、半日気絶して、1週間はダメな状態なのだから、どうやってネタに出来ようか(苦笑)。

 

骨髄バンクの末梢血幹細胞の提供の為に、数日入院したのだけど、手術後に感じたことは、「外傷って完治までが直線的なんだな」ということ。
術後から、日々状態が良くなって行くことが手に取るように分かって、それは単純な感動だった。

 

PTSDの治癒には、ボランティア活動よいとされているから、もっと丁寧に活動をして行けばいいのかもしれない。

もしくは荒療治として、赤裸々に作品制作をしていくのがいいんのかもしれないけど、相変わらずの状況なので、二の足を踏んでしまう。

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両親の家にゆずが沢山なっていた。

美しい。
時は常に前にだけ進んでいるのだ。

残念ながら。否、幸運にも。