虹がでたなら

説明がしづらい人のブログ。

すべての言葉が甘い冗談になればいいのに

昨日、最悪の法案が可決した。

デビルマンの世界が現実化したんじゃないか。

国会議員が次々に悪魔に乗り移られていく地獄絵図を想像した。

 

 

冒頭から話がズレてしまった。

このエントリを書き始めたのは、もう1ヶ月以上前だ。

あの思い出について、私自身も何故か上手くまとめられない。

 

 

もう書かないかもと思った頃、

食べログを書き直した旨のメールが来た。

「じゃぁ、書こう」と思ってから、10日くらい経ってしまった。

 

 

まだ人生の終わりには程遠いとは思うけれど、

私の一生の間で、“恩人”と呼ぶべき人を5人選ぶとしたら、

ジュリアス・スージーはその中のひとりに選ばれる男だと思う。

 

 

説明や経過を省略する。 

11月の頭、既に推敲を重ねたという、彼のが書いた食べログエントリーを読んだ。

タイトルは、『鉄道カフェでぼくがおもいだすこと』

 

“おもいだすこと”と言うのは、実に都合のいい設定で、

人間はいつ、どんな境遇にあっても、想像の中では自由自在だ。

私も彼について思い出してみようと思う。

 

そこに書かれている『おおはら』と呼ばれていた男とは、

2〜3度しか会った事がなかったけど、

その後、何度も話す羽目になったのでよく覚えている。

 

美醜について語る時、私が常に前置きとして心の中で、

「美しさとは人の数だけある」と思っていることを

絶対に忘れないで欲しいんだ。

 

つまり……、 

『おおはら』は、これまで私が見たことのある男の中で一番醜かった。

骨の上に欲望で出来た粘土質の肉をまとい、

自分への賛美を渇望する気持ちが、

全身の毛穴を通して、常に外へと吹き出しているような、

そんな不気味な容貌だった。

 

実際のところ、私は『おおはら』とひとことも口をきいていない。

話せば不愉快にしかならない、という確信があった。

 

「どうして、あんな人と付き合ってるの?」の問いに、

「いや、彼には彼なりの面白さがあるよ」と

初めは答えていたスージー氏だったけど、

数ヶ月後には、完全に私と同じ意見になって苦笑した。

というか、『おおはら』が第一印象通りだったことに、少しだけガッカリした。

 

  

1ヶ月前、『鉄道カフェでぼくがおもいだすこと。 』を読み、

投稿しなかったエントリのタイトルは

『悲しい気持ちでつながっている』だった。

 

もちろん今もそう思っている部分もあるけど、

書き直されたあの記事にはそぐわないと思う。

 

あの『おおはら』は、真の意味でキャラ化され、

あの不気味さがコミカルへ完全に昇華されていた。

うん。元気さも伝わってきたよ。

 

 

ある日、スージー氏は『おおはら』を弁護すべく、

「ぼくは、かれのこと『とかげのおっさん』のように

 愛すべきキャラクターのひとつとして見ているんです」

なんて言った。

 

 

誰もがそれぞれに、自分として、自分の人生しか歩めない。

私も自分自身の特性を厄介に思うことばかりだ。

 

なんだか彼のことを、

グリム童話の絵本の中で見付けられそうな気がしてきた。

 

 

鉄道カフェでぼくがおもいだすこと。 : スチームロコモティブ Cafe&Bar STEAM LOCOMOTIVE[食べログ]