虹がでたなら

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骨髄バンク経由で末梢血幹細胞を提供し、回復するまで[前編]

昨年の秋、末梢血幹細胞を提供したお礼として、数日前に日本骨髄バンクから感謝状が届いた。

バンクとの決まりで、手術した日にちは公開出来ないから、そのうち、そのうち、って先延ばししている間にだいぶ経ってしまった。

 

そんなに度々ある事ではないので、記録として書いておこうと思う。

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せっかくの賞状ですが猫が踏んじゃった(笑)。 
でも、私は“崇高なお心”なんかじゃないからいいのかも。

 

 

全てが終わった話だから、暗いきっかけについて書いておく。
11年前、私がこのボランティアへの登録したのは、簡潔に言えば自分のためだった。

 (削除)

そんなきっかけ、ボランティア活動に相応しくないと言われてしまいそうだけど、そういう人がいてもいいじゃない。
人を助ける余裕なんて無かったよ。

 

 

やがて時は経ち、偶然を装った必然が訪れた。
私の心は今、子どもの頃に戻って平穏に暮らしている。

 

ドナー候補者を知らせるオレンジ色の封筒を受取ったのは、今回が5度目だった。
2回は仕事の折り合いが付かず、別の2回は、更に詳しく調べるための2次検査まで行ったが第一候補者に選ばれなくて終了した。

 

去年後半は仕事も落ち着いていたし、両親も元気だし、提供出来なくなる55歳までをぼんやり見積もってみても、状況的にするならこのタイミングが一番だと思った。  

 

第一候補者になった後、五者(ドナー、ドナー家族、骨髄バンク職員、医師、弁護士)による最終同意面談が行われる。
ここで同意書にサインをすると、手術を事実上断る事が出来ないと言う話になっている。

 

親が元気でだからいいとは思ったものの、元気だからこその反対が激しく、サインを書いてもらうのがこの提供手術において一番大変な話だった。

 

大抵の人は何処か悪い所があるから手術をする。
健康な人が、顔も名前も知らない人のために手術をし、その結果、後遺症が残る可能性が0ではない。

 

「手術は絶対に失敗しないと約束してください」
「最善を尽くし努力しますが、それはお約束出来ません」

 

何十分も、ほぼこの会話の繰返しだった。

 

「今回は同意書を持ち帰って検討したい」と母親言い出したとき、異性愛者でなくてこの手術に同意してくれる戸籍上男の友人の誰かと入籍するかと真剣に悩んだ。 

 

こんな風に実際に、第一候補者になったけれど、最終同意面談で、ドナー家族の同意が得られず、コーディネート終了する場合も、ままあるらしい。
弁護士さんが、急かす事なく常に中立の立場を保っている。

 

もう一度書くが、この提供は知らない誰かのためだけにある手術ではない。
過去に置いてきた、血と涙にまみれた私を助けるための手術でもあるのだ。
宗教と思えば簡単に理解出来るかもしれない。

 

最終的に私は、今でも人前で話したくない話までして母親を説得した。
なるべく小さな声で、冷静に話したつもりだったが、それが出来ていたか分らない。

 

あまりにも時間がかかって全員が疲労困憊したからか、コーディネーターは同意書の控えを私に渡し忘れ、母は骨髄バンクから受取った資料一式を病院のトイレに忘れ、夜になってから取りに行ったりしていた。

 

手術の日が決まって、私が真っ先にした事と言えば、当日までの食事スケジュールを立てる事だった。
全身の血液を、今私に出来る最高級の質に仕上げる!
……我ながら変態趣味だと思うね(苦笑)。 

 

 

つい最近も友達に「顔出しで赤裸々に書くのやめれ」と言われたばかりだけど、そこそこ書いちゃったな。
でも、逆に書けるようになるくらい回復したってことよ。

 

この後は面白くなると思うんで(実際、口頭で話すとみんな爆笑するから、上手に書けるよう努力します)。

 

つづく。