虹がでたなら

説明がしづらい人のブログ。

新緑に吹く風と共に老猫を見送る夜

その猫が某の家にきたのは、約20年前だった。
とても動物を愛でるような感じに見えない某が、「猫を飼い始めようと思って」と言って、いそいそと準備している様を端で見ていて、私は不思議な感覚を覚えたものだった。

これまで動物を飼ったことのなかった某は、Billyと名付けたその子猫に思いの外、手を焼いていたようだったが、色々と調べては、着実にこなしているようだった。

 

Billyは猛烈に人見知りだったので、打合せに某宅に行った時でも、その姿を見ることが出来るのはまれだった。 

しかし当時の私は猫アレルギーだったので、1時間ほどすると目が痒くて涙が止まらなくなり、バンドのミーティングもそこそこに帰るはめになった。

何年か経って私の猫アレルギーが治った後も、Billyと私の相性はけっして良いものではなかった。
その姿は見ることが出来るようになったものの、常に威嚇の対象だったように思う。
今も威嚇されている顔ばかりが思い浮かぶ。

 

とはいえ思い返して見ると、Billyと部屋にふたりきりになるときは、そんなに悪い雰囲気でも無かったような気もする。
ある年末をふたりで過ごしたことがあって、その時は寒さに堪え兼ねたのか、そういえばくっついて眠ったこともあった。

「お、仲良くなれたかも」と思ったが、某が来たらまたいつもの威嚇でガッカリさせられた。

 

国際展示場から桜新町の斎場まで、乗り馴れない路線を使って向かった。
途中、何故か何度も乗り間違えてしまい、到着がかなり遅れてしまった。

 

あの威厳のある凛々しいBillyは、花に包まれて妖精のように微笑んで横たわっていた。
全然近づけない猫に、今夜は近付き放題、触りたい放題だったよ。

 

不思議だった。

死を前にすると、いつも不思議な気持ちになる。
当たり前のようにやってくることなのに。

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そういえば、私が焼き魚を食べている時だけは、分けて欲しくて、ちょっと愛想良くなることもあったかも。

仲良くないなりにも、色々な思い出がある。
喧嘩相手がいなくなる寂しさよ。

 

おやすみ、Billy。