クレームと要求の境目
昨日、「Yasnoさんてクレーマーですよね?」と言われたのだが、さまぁ~ずの大竹さんがクレーマーだと呼ばれているのならば、間違いなく私もクレーマーだなぁと思う。
さまさま観ていて大竹さんのクレーム話になると、メチャ共感してしまう私だし。
クレーマーと言うのは、英語を直訳すれば「要求をする人」。つまり言いたがりなんだろう。
ネットの大竹さんへのコメントの中に
『その場で我慢してしまえば、文句言う面倒よりも楽だから言わない。言うことの労力に対して得られる効果が低すぎてスルーしてるんだよーってレベルのものまで文句言ってる』
と言うのがあってフム、と思った。
どのエピソードに対して言っているのか分からないけど、たぶん、言う人と言うのは、言う面倒という所のハードルがとても低い。
例えば、私がバンドで「新しい企画(イヴェントやテーマ)をやりたい!」とか、「新しい曲をやりたい!」とか頻繁に言い出してたのだけど、人によってそう言うのを言うのは面倒と感じる人がいる。そんな感じなのかもしれない。
そういえば、NHK Eテレの討論番組『ニッポンのジレンマ』で歴史学者の與那覇潤氏が「すべてを言葉にすることはコストです」と言っていた。
物事には、コストを掛けてでもしなければならない事はある。100万冊のビジネス書で書き古されているような成長のための必須項目だったり、誰にも理解出来ないようなマニアックな趣味かもしれない。
とにかくコストが掛かることは、ある基準に寄って選ばなければならないということだろう。
だけど、その基準が人間ひとりひとり違うって話になると、基準とはあってないものと同じになるよねー。
不本意ながら、私は一部の人から盛んに『愛の人』と呼ばれているが、確かにクレームを言う時、今後関わりを持ちたくないと思っている物事に対して絶対に言わない。クレームを伝えるとき、少なからず相手に良くなって欲しい、その先の何かに役立てて欲しいと思ってるよ。
余談だが、クレームという単語には「保険を請求する」という意味もある。私が保険を売っていた頃のある日、欧米人から電話がかかってきて「クレームしたいんですけど〜」と言われて、ちょっとドキッとしてしまった。
ここ1年の私はかなり要求が減ったと思う。同時に「面白くなくなったなー」と思われていると思う。自分自身が面白くないし。
もっとオモロイ要求しなきゃかなー。
羊とか
インディアンの時みたいな分かりやすい感じもいいけど、それだけじゃなく……。
んー。でも、今の方が安定してていいような気もするけど。